今年も8月26日に行った地域の小中学校の夏休み明け始業日に合わせての教会開放。2日前からのツィートのまとめを連載します。
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8月24日
- 「死ぬな、逃げろ。」夏休み明け始業日にこどもたちの自死が突出して増えると知って、そうツィートしたら2万リツィートされて驚いたのが5年前。以来毎年地元の小中学校の始業日には教会堂を開放して、その日学校に行くのがしんどい人たちはどうぞ、と呼びかけている。今年は8/26(金)の朝8時~3時。
- 単に「逃げろ」と言うだけでなく、実際に「ここに逃げておいで」と逃げる先を示し、実際にお菓子やお昼を用意し、サポートするおとなの配置もしたのが珍しかったのかもしれない。あれからそうした具体的な取り組みが増えてきているなら嬉しい。生きる為の選択肢は一つでも多い方がいい。
- 大事なのは選択肢だと思う。それは幾つもあった方がいい。あれでなければコレしかない、というのはしんどい。下手をすると暴力的だ。地獄に行くのがイヤなら入信しなさい、献金しなさい、壺を買いなさいというのと同じ。生きるってもっと自由でいい。
- 5年前、びっくりするほど沢山のメッセージが届いた。殆どが肯定的で応援してくださるものだったけれど、考えさせられる応答もあった。大別すると3種類。多かったのは、こどもの逃げ場が必要なのはその日だけではない、というもの。
- 始業日が違う!というメッセージが沢山あった。ツィートを受け取った人は全国200万人以上にものぼったらしく、北九州から遠く離れた所で受け取った人も、我が事として感じたのかもしれない。まさか自分の言葉がそんな広がりを持つとは夢にも思わなかったので、驚きだった。
- 逃げ場がこどもたちに必要なのはその日だけではない、というのももっともなこと。毎日、必要なのだ。でもそれに対応する事は無理だった。だったらやらないのか、それとも限界もあって不十分だけれど、できる事を小さくてもやるのか。この教会は後者を選んだ。結局、何かを行うとはそういうことだ。
- 選択や行為には必ず限界、欠けが伴う。どんなに用意周到に計画し準備しても、不完全で限定的な事しかできない。どんな善行においてさえ間違いや人を傷つける要素が含まれている。人間はそういう「罪びと」だ。それでも踏み出す。スミマセン、と言いながら。そういうことだったのだと思う。
- 逃げ場が必要なのはこどもだけではない、大人も逃げたい、逃げて行っていいか。そんな応答もあった。確かに、追い詰められているのはおとなたちも同じ。そういう時代に共に生きていることを示す切実なことばたち。こどももおとなも逃げられる、みんなの逃げ場。それを作らねばと思った。
(記)会計担当 U.N(2022年8月28日の週報より転載)
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