2024年4月第3週の一言 日々の説教・黒木昭丸「その生きながらえている間」

先週火曜日に読んだ説教を紹介します。 ブログに書いた文章を増補。

伝道の書3章10節~15節。 「いのちの水は流れて MOL説教・証詞集四」 (1979)


わたしは神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事を見た。神のなされることは皆その時にかなっ て美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざ初めから終りまで見きわめることはできない。 わたしは知っている。 人にはその生きながらえている間、楽しく愉快に過ごすよりほかに良い事はない。 またすべての人が食い飲みし、そのすべての労苦によって楽しみを得ることは神の賜物である。わたしは知っている。すべて神がなさる事は永遠に変ることがなく、これに 加えることも、これから取ることもできない。神がこのようにされるのは、人々が神の前に恐れをもつよ うになるためである。今あるものは、すでにあったものである。後にあるものも、すでにあったものである。神は 追いやられたものを尋ね求められる。


国立ハンセン病療養所・大島青松園のキリスト教信徒団体・教会 「霊交会」会員による信徒説教。

大いに悪く、不幸で不運な生涯だった。人生をこう振り返る黒木は、「いっさいは空」 と語る伝道の書がそんな自分にぴったりくると言う。

伝道の書の著者は豊かな人生を送ってきたにも関わらず、そのすべてが空しいと言 う。 彼は神の前に立って静かに謙虚に人生を振り返り、その全てを与えた神から離れて 空しく生活してきた、と自分の生き方を問題にしている。

この大切な魂の整理作業の中で、永遠を思う思いが与えられ、将来に向かって心が開 かれる。それが信仰。生きながらえている間、楽しく飲み食いして愉快に過ごすよう著 者は勧めるが、これはこの信仰に基づく喜びの生活のこと。パウロは復活のイエス・キリストと出会い、これを知った(第1コリント15章32節)。将来に望みのない生活は 刹那的で無茶になり易いが、イエス・キリストによる望みのあるところでは現在を大事 にして感謝と喜びをもって生きる力が与えられる。

「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ」。「俺のように、年をとってから悔 い改めるのではなく、若いときから造り主を覚えて生きるべきではないかという、人生の反面教師のような勧めをしている言葉に深い慰めを与えられます。全く良いところなく、療養所ですごした悪かった悪かったの人生。すべては虚しかったという思いのみが 残る人生。しかし、これもまた神によって与えられた一つの生涯であります。 その生き ながらえている間を、望みと感謝のうちに全うしたいと願います。」

すばらしい。軽妙に聴衆の笑いを誘いつつ、自嘲に見せてその実、病と差別に引き裂 かれた人生を知るみんなと響きながら一気に静けさを増し、実存的に深まり、深い慰めと励ましを帯びる。自由で、やさしくて、深く、希望が溢れる。

(記)会計担当U.N.(2024年4月21日週報より転載)


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