先週に続き、日本バプテスト連盟からの派遣で沖縄宣教研究所・富坂キリスト教センター第5回共同研修会に参加して沖縄で考えたことを振り返ってみたいと思います。
沖縄には独自の文化があり、それが沖縄のアイデンティティーとなっています。言葉、習俗、音楽、食べ物・・・。それらは日本の他地域と比較しても際立っており、他に類のない特徴を有しています。この文化的な強度が、容易に日本化・統合されない沖縄の力とつながっているのだと思います。
沖縄と東京の直線距離を半径として円を描くと、その中には朝鮮半島、台湾、上海、フィリピン・ルソン島などが入ります。そうした諸地域の人々との交流や交易が沖縄の文化の形成に大きく影響を与えたはずです。つまり沖縄の文化は、「日本」だけでなく、東アジアの広範囲で豊かな文化的な影響の中ではぐくまれたもおであり、その文化・アイデンティティーの強さは沖縄が豊かな交流の中に身を置いていたことに由来するということが出来ると思いました。
沖縄のアイデンティティは、こうした大きな交流史の中のひとつの豊かな「現象」と見ることが出来るのかもしれません。そしてそれと同じような関係史の中で改めて自らをとらえなおすことが、ヤマトで生まれ育った者たちにとっても解放なのかもしれないと思われました。
研修会では、牧師たちを「先生」と呼ぶことをやめ、互いに誰をも「さん」付けで呼び合うことを提案され、そのことを参加者一同意識して研修が進められました。互いに平等、対等であることを意識し、確認し合うことを通じても共同性を追求したい、という思いの表れであったと思います。
いかなる相手に対しても、威圧的、支配的、差別的、権威的にふるまうことを避けること。真に対話的であること。互いの尊厳を大切にし合うこと。そして常に自分がどう変わりうるのかを意識していること。それは構造的な暴力や支配から遠ざかろうとする平和の営みそのものです。そのためのプログラムの検討と運営上の工夫がさらに深められていくと、この研修会はさらに共同性を深めるだろうと思われました。
研修会が終わった翌日の木曜日、オプションプログラムを失礼して、ひとりで伊江島に行き、榎本空さんに色々案内してもらい、ゆっくりした一日を過ごしました。
湧出(ワジー)の展望台から、眼下の海岸に打ち寄せる青い波の下で、サンゴが黒い森のように揺れているのを眺めているうち、ふと、千年前も波はこんな風にここに打ち寄せていただろうなぁと思ったのでした。
千年後、一万年後はどうなっているだろうか。辺野古はその時どうなっているだろうか。今、強行され続ける新基地建設工事で造られているものは、波によって削られ、廃墟になっていないだろうか。いや、跡形もないかもしれない。そして、ただ波が、またこの世界を元の形へ元の形へと戻しているかもしれない。そんなことを思ったのでした。
今、しなければならないこと。それはあると思います。しかし、それすらも、大きな時の流れの中で見れば、波に洗われる浜辺の砂粒のようなものかもしれません。大きな大きな流れや事柄の中に自分や世界を見出すことは、人間を謙虚にします。そこからもう一度、平和を考えてみたいと思ったのでした。(終わり)
(記)会計担当 U.N(2023年3月5日の週報より転載)
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