2023年1月第4週の一言

先週日曜日、YouTube抱撲チャンネルで、榎本空さんご本人と初めて対談の機会を得ました。対談で話題にしたのは、彼がこの著者の中で重要なテーマとして語っている当事者性について。

アメリカ・ニューヨークのユニオン神学校で、黒人解放の神学を切り開いたJ・H・コーンから学んだ榎本さんは、「黒人の苦しみは黒人にしかわからない」というコーンの言葉の前に、たじろぎ、自らを問われたと言います。黒人ではない自分に、何ができるのか。それは、幼少期を過ごした沖縄・伊江島で、またかかわりを与えられた台湾の少数民族の方々との出会いの中で問われたことでもあったといいます。

当事者ではない自分に、何がわかり、何ができるのか。そのことに悩む中で、榎本さんは4つの福音書に共通して登場する人物「アリマタヤのヨセフ」に自分を重ねるようになった、と言います。

ローマへの反逆者として十字架上で処刑されたイエスの遺体を、危険を冒して引き取り、埋葬したアリマタヤのヨセフ。彼はイエスの弟子たちのように貧しい農民ではなく、裕福で、身分の高い議員でした。またガリラヤの貧農たちの苦しみを味わった事もない人間でした。そんな彼が、しかし、イエスを埋葬するという役割を自ら引き受けたのでした。埋葬とは人々の物語を自ら引き受け、それを語り伝えることでもあり、それをしたい、それならできる。そう榎本さんは言います。

ホームレスをはじめとする困窮孤立者の自立支援に長らく関わってきましたが、しかし私自身には当事者の苦しみはわかりません。支援者たちの多くは、それを知らないのです。でも彼ら彼女らとの出会いを通して聞き取った本人たちの、そして本人たちとの出会いの物語を語り伝えることはできる。

抱撲の葬儀では召された当人との思いでが、歯に衣着せぬ表現で語られます。また夏祭り、新年炊き出しでは、「このいのち忘れない」という横断幕の前に、寄る辺なく亡くなり、引き取りてもなかった方々の名前を書いた小さな碑を並べて、追悼をします。互助会「偲ぶ会」では、互助会のつながりの中で天に召された方々の思い出を語って、追悼します。抱撲はこうしてアリマタヤのヨセフのように「埋葬」に関わってきた、そのことを思うひと時でもありました。

榎本さんはしかし、コーンが白人の学生に向かって語った「あなたは黒人になることができる」という言葉も番組の中で紹介してくれました。苦しみを負い続ける黒人たちの現実の中に身を置くとき、その人は黒人に「なる」ことができる、とコーンは考えていたというのです。或いはそれは、そうした受苦者とのつながりの中で生きることそのもの、と言えるかもしれません。他者の苦しみの現実の中に身を置くこと、苦しみの中を生きる者たちとつながっていること、それは苦しむもの自身には決してなることなど出来ないのに、苦しむ者に「なる」ことの可能性を示す言葉でした。

教会は、イエス自身になることはできません。また、苦しむ他者自身になることもできません。しかし、その苦しみの中に身を置き、これにつながり、響くとき、教会はイエスに「なる」ことができる。わたしたちは苦しむ者に「なる」ことができる。その事を思わせられたのでした。

2月には沖縄での研修に参加する機会を活かして、伊江島に榎本空さんを訪ねたいと考えています。さらにいろんな話ができたら、と願っています。

(記)会計担当 U.N(2023年1月22日の週報より転載)

※会計担当 U.N.追記
上記オンライン対談のアーカイブは以下からご覧いただけます。ぜひご覧ください。
ほうぼくチャンネル「それで君の声はどこにあるんだ?」
https://www.youtube.com/watch?v=stbA3VxF5L4


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