2022年12月第2週の一言

マリアの讃歌

わたしの魂は主をあがめ、
わたしの霊は救い主なる神をたたえます。

この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。
今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女と言うでしょう。
力あるかたが、わたしに大きな事をしてくださったからです。

そのみ名はきよく、
そのあわれみは、代々限りなく
主をかしこみ恐れる者に及びます。

主はみ腕をもって力をふるい、
心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし、
権力ある者を王座から引き下ろし、
卑しいものを引き上げ、
飢えているものを良いもので飽かせ、
富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます。

主は、あわれみをお忘れにならず、
その僕イスラエルを助けてくださいました。
わたしたちの父祖アブラハムとその子孫とを
とこしえにあわれむと約束なさったとおりに。

ルカによる福音書は、聖書の中で最も詳しくイエス誕生のクリスマス物語を記している書物です。その中で、イエスの母マリアがその出産を前に歌う神への讃歌として記されているのが「マリアの讃歌」として読み継がれてきたこの歌です。

もともとは、キリスト教以前にあった神への讃歌がマリアによるものとしてこの福音書の中に組み込まれたものであるとも言われています。その過程で、もともと男性によるものであった歌が、女性のものに変えられた可能性もあるとされています。

苦しみを負わされ、虐げられ、不当に尊厳を奪われ低められている者たちが神によって高められる。逆に苦しみを与えている力ある者たちは低められる。それは社会正義・公正、根本的な社会変革、革命の願いを神が実現してくださる、という信頼、期待を歌う歌です。さらにそれはクリスマス物語の中に位置づけられたことによって、この歌の示す神への信頼は、キリスト教信仰、神学、思想や教会の姿勢や使命の中に明確に位置付けられることとなりました。

虐げられてきた貧しい者たち、とりわけ女性たちにとって、この歌はマリアが自分たちの味方であり、仲間であることを示すものであり、はっきりと高らかに表出された自分たちの声、叫び、訴えです。

世界中の、解放を求める人々が、尊厳を奪われてきた女性たちが、この歌によって自分たちの願い、祈り、生を鼓舞されてきたのです。そしてその息子として生まれるイエスが、その願いの実現としてやってきたことを思い起こしてきたのです。

クリスマスを待つ4週間「アドベント」第3週です。
あらためて、このマリアの讃歌を心に響かせてみたいと思います。それは、二千年前のひとりの女性の歌であり、人間の歴史を通して歌われてきた解放の歌であり、今日わたしたちのこの社会、世界の中で救いと解放を願い求めながら生きているみんなの歌なのです。

(記)会計担当 U.N(2022年12月11日の週報より転載)


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