2022年12月第3週の一言

関田寛雄先生が、12月14日、天に召された。94歳。
西南学院大学に身を置いていた1989年の夏、先生の説教学集中講義を受けた。今よりもっとトンガッていて、社会分析と批判を詰め込んで怒りに任せた説教を作って授業で語った時、先生は「それは説教でなくてもできることです。説教でしか語れないことを語ってください。」というようなことを仰った。今、そのことを一層大切に心に留めている。

折りに触れ、はがきや手紙をくださった。そこにはいつも、小さい字でびっしりと、そして驚くべきことに書き直しのない文章で信仰、教会、人権・平和、共に生きることなどについて熱く熱く綴られていた。

この教会の新しい信仰告白にも、こんなメッセージを寄せてくださっている。以下、お披露目会資料より。

主の平安をお祈りいたします。
お手紙と、教会の新しい信仰告白および交読文を送ってくださりありがとうございました。

詳しいことは分かりませんが、南小倉教会が深い痛みを重ねながら存在し続けてこられたことが分かりました。4年間の対話の中で、多くの反省と悔い改めとゆるしと希望が確認されたことでしょう。告白文の内容からそのことを感じました。

(註)の中の「こうした歴史の中で・・・悔い改めの作業でもあった」という言葉にすべてが集約されていると思いました。「前文」の中の「教会の中の孤立した弱い人々が・・・この細い糸が教会を存続させた」との言葉に、「人間の混乱と神の摂理」(バルト)という言葉を思い出し、神の憐みの歴史への讃美を思い出しました。精霊による「多様性」の促しの部分にも深い共感を覚えました。

この新しい信仰告白が御教会の新しい出発点となり、新しい歴史の起点となることを心から喜び、主の祝福をお祈りいたします。

皆様にどうぞよろしく。

関田寛雄

2018年8月11日と12日の2日間、南小倉教会の特別集会でお話しくださったことは記憶に新しい。2日間のお話について、翌週の週報でこんな風に振り返っている。

土曜日のお話は「イエスってどんなひと?」と題して。

「聖書を読むと、イエスは母マリアから生まれたが、父ヨセフの実子ではなかったことがうかがえる。古いユダヤの文書などには、イエスがローマ兵によってレイプされて生まれたという記述もある。イエスの出生の事情には、この語られない部分がある。フーテンの寅さんも、彼の父とミヤコ蝶々演じる芸者お菊の間に生まれた出自を持つ。自分は生まれない方がみんな幸せだったのに、という悲しみを抱えて生きた彼だからこそのやさしさがある。イエスの共に生きるやさしさはこれと響きあう。」

そこから始まり、イエスの全生涯を寅さんと重ね合わせながら語り示して下った関田先生。ここまでやったのは実は初めてとのこと。貴重なお話だった。本にならないかなぁ。

日曜日のお話は、「空けない夜は、ない」。すべての人の存在は、すでに神への応答。意味があり、役割がある。
映画「道」のジェルソミーナが小石の中に見出した光。夜明けは、来る。

ああ、今思い出しても涙が出そう。こんこんと、切々と、諄々と、希望を説き明かしてくださった。

2022年3月28日の会堂装花先生、とても悲しいです。
大切な自分のよりどころが取り去られたような気持ちです。きっと大勢のものたちが同じ気持ちでいることでしょう。でも先生は、もうこんなに自分をわたしたちに分け与えてくださっていたのでした。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

イエス様、今頃先生と寅さんの話で盛り上がったりしているでしょうか。どうぞ関田先生をたくさん労わってください。そしてこれからずっと、くれぐれも、先生をよろしくお願いいたします。

(記)会計担当 U.N(2022年12月18日の週報より転載)


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