2023年1月第1週の一言

明けましておめでとうございます!

お正月のお花

新年元日はみんながお互いに顔を合わせては、誰彼構わず、「おめでとう」と挨拶を交わす日です。世界中の人々が一斉に祝福し合う。国を問わず、宗教を問わず、お祝いする日。そんな日は新年元日くらいかもしれません。

でも考えてみれば、12月31日と1月1日で何かが実際に違うわけではありません。大晦日の午後11時59分59秒と、元日の午前零時零分零秒の間に世界中が一気に変わるはずもないのです。

元旦の初日の出の「ご来光」を拝んだりしても、そこに昇るのは同じ太陽です。年が明けるというのは夜明けになぞらえた表現ですが、元日を迎えたからと言って、わたしたちの現実の暗闇が終わり、希望の未来が明け離れるわけでもありません。世界は依然として闇を抱えたまま。わたしたちひとりひとりの不安や悲しみ、傷も、そのまま。世界もわたしたちもそうやって、新年を迎えるのです。

それでも、あけましておめでとう!と互いに祝い交わすのは、このとき、わたしたち誰もがまだ見ぬ夜明けに目を注ぐからです。

現実がどうあれ、とりあえず、人類全体が、世界が、地球がすべてがまるごと新しい時代に入ったということにするからです。実際に見えている現実の闇のただなかで、希望の未来の夜明けを先取りして祝うからです。

実は「信じる」とはそういうことなのです。それは人間特有の能力です。わたしたち人間は、何も変わっていない現実の中に、宇宙規模で、見えない切れ目、断面を入れ、そこに新しい始まりを見出し祝うことができる、そんな特殊な生き物なのです。何も変わっていなくても「明けましておめでとう!」と祝うのは、わたしたちが人間という生き物だからです。

考えてみれば、すごい日です。世界中の人々が、信じる日。希望に基づいてお互いを、自分自身を祝福する日。元日の午前零時を機に、世界中のみんなが一斉に信じる。

とりあえず、このブームには乗っておきましょう。所詮何も変わりはしない、と当たり前の事を呟いてそっぽを向くなどという無粋なこと、非人間的なことはこの際やめておいて、人間らしく、信じて祝いましょう。そこから人間の生きる喜びや力も湧くというものです。

夜明けは来る。わたしたちがこの日に交わす祝福は、その先取りで前祝です。そして、祈りです。夜明けの薄明りの兆しを、曙光の始まりを、闇の夜空のただなかに見出しながら、歩んでいきましょう。

教会は、これが得意です。いや、仕事です。イエスの復活に、闇の終わりと希望の夜明けを見出し毎週日曜日ごとにこれを祝いながら、年がら年中「明けましておめでとう」と祝い交わすのが教会です。だから教会は週の初めの日・日曜日のことを「主の日」(イエス・キリストの日)と呼ぶのです。

今日は元日で、主の日。幸先のいいスタートです。今年もみんなで信じて歩んでいきましょう。毎週、礼拝を繰り返しながら。毎日、祈り、信じ、祝い合いながら。

明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いいたします。

(記)会計担当 U.N(2023年1月1日の週報より転載)


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