だから今日、希望がある(世の光より転載)

今週末はいよいよ「だから今日、希望がある」の日本語訳を書かれた松本先生をお招きしての特別集会です。

「だから今日、希望がある」の讃美歌については、当教会の谷本牧師が2016年12月に「世の光」という雑誌にも寄稿しています。ぜひ、ご覧ください。


だから今日、希望がある
~希望の闘いの歌・アルゼンチンタンゴの讃美歌~

アルゼンチンで作られたタンゴの讃美歌。原題は「テネモス エスペランサ」(わたしたちには希望がある)

以下、松本敏之牧師(日本基督教団鹿児島鍛冶屋町教会)による日本語訳。

1.
主が貧しい馬小屋で お生まれになられたから
この世界のただ中で 栄光、示されたから
主が暗い夜を照らし 沈黙、破られたから
固い心、解き放ち  愛の種、蒔かれたから

(くり返し)
だから今日、希望がある だから恐れずたたかう
貧しい者の未来を 信じて歩み始める
だから今日、希望がある だから恐れずたたかう
貧しい者の未来を 信じて

2.
主がおごる者を散らし 高ぶる者を低くし
小さく貧しい者を 引き上げ、ほめられたから
主が私たちのために その罪ととがを背負い
苦しみと痛みを受け 十字架で死なれたから

(くりかえし)

3.
主がよみがえられたから 死を打ち破られたから
もう何も主の御国を さえぎることはできない

(くりかえし)

各節の前半でイエス・キリストの生と死と復活が根拠・理由として数え上げられ、後半でそれに応答する信仰の宣言が繰り返されています。

以下、2002年に出版された英文資料より(※1)。

「作詞は『アルゼンチンの人権のためのエキュメニカル運動』のフェデリコ・パグーラ監督。この歌はラテンアメリカ全土で正義のための闘いに関わる教会への真の賛歌となった。作曲者オメロ・ペレラはこの歌詞をタンゴの緊張感の中に据えた。それはその時までプロテスタント教会では避けられてきた表現形式だった。抑圧の力に関する告発と、神の民への希望のメッセージ、それによってこの歌は、1976年から1983年まで国を支配した軍事独裁政権時代のアルゼンチンのクリスチャンたちの鬨(とき)の声となり、行方不明になった我が子たちの運命に関する情報を今日まで求め続けている母たちのグループ『五月広場の母たち』の痛みと闘いの証になった」。(谷本仰訳)

アルゼンチンの軍事政権下の7年間で、3万人とも言われる人々が行方不明になり、殺されました。警察や軍ア、反政府的だとみなした人びとを手当たり次第に逮捕し、処刑したのです(※2)。

この讃美歌はこの暗い時代の只中、1979年に生まれました。タンゴという形そのものが、この讃美歌が、アルゼンチンのこの歴史に深く根ざしていることを証ししています。

19世紀末から20世紀初頭にかけて、アルゼンチンの港町ブエノスアイレスの場末の裏通りで、故郷を失い孤独を抱えた移民たちが、居場所や共に生きる相手を求め、抱き合って共に歩くように踊ったのがタンゴの始まりです。だからこそタンゴの讃美歌であるこの歌は、共に生きるように創られた人間の身体の感覚を呼び覚まし、抑圧の下で生きて闘う人びと、イエス・キリスト、そして希望につながり響く共感へと、歌う者の身体を揺さぶり招くのです。

南小倉教会では、近年この歌を事ある毎にみんなでいっしょに歌うようになりました。歌うたびに身体が熱くなり、奥底で何かが目覚め、立ち上がってくるような感じがして、涙が出ます。信仰が、そして教会が、揺さぶられ、甦らされているのかもしれません。イエス・キリストと共に。傷つけられながらいのちのために闘う人びとと共に。だから今日、希望がある。アーメン!!

※1 Jorge A. Lockward編、General Board of Global Ministries, The United Methodist Church発行、”Tenemos Esperanza“ 2002、25頁、この資料を含め、この歌の日本語訳者・松本敏之牧師にさまざまな参考資料を提供していただきました。感謝。

※2 犠牲者の実数は、これを遥かに超えるという説もあります。「汚い戦争」と称されるこの軍政による残虐な犯罪の犠牲者の遺体の多くが発見されないのは、上空のヘリコプター等からラプラタ川に突き落とされたためであるともいわれています。

(記)会計担当 U.N(2016年12月号「世の光」より転載)


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