2022年7月第4週の一言

2020年4月8日、初めての緊急事態宣言の出された翌日、教会からこんな呼びかけをインターネットを通して行いました。南小倉バプテスト教会

【いっしょに祈ってください】

南小倉バプテスト教会では、毎週水曜日夜の「祈りの会」の集まりを当面休止します。しかしコロんでもタダでは起きない!「祈り」は休止せず、むしろ広げてつながりたい!わたしたちはそう考えました。

誰も来ない教会堂で19時半から牧師が祈りをささげます。同時刻にできるだけ多くの方々に自宅で一緒に祈っていただけないだろうか。教会のメンバーだけでなく、いろんな人たちがこの時に「祈り」のひとときを過ごしたらすてき。そう考えたのです。

そこで南小倉バプテスト教会は、祈りのひとときを一緒に持ちませんか?とみんなに呼びかけることにしました。

よかったら皆さん、ご一緒ください。クリスチャンでなくても、無宗教でも、「祈り」のひとときを過ごしませんか。

スタイルも作法も、気にせずに。勿論キリスト教式なんかでなくても全然OK。黙祷でいいのです。目を閉じて、落ち着いて、静かに思い、願う、それでいいのです。ご自分のこと、家族や友人のこと、心配なあの人やこの人のこと、みんなのこと、気がかりなあのこと、このこと、世界のことを少し思うひととき。みんなが守られますように、と願うひととき。溜息しかでなくても、言葉にならなくても、涙ひとつぶでも、祈りです。最近出会ったうれしかったこと、楽しかったことを思い出すのも、ちいさな感謝も。

19時半から20時くらいの間で、いい時にほんの短く、でOK!もちろんその時間以外でもOK。

祈って何になる。祈りが何の役に立つ。そんな気持ちにもなります。もしそういうことなら、祈りなんて要らないものなのかもしれません。でも、それならなぜ太古の昔から人は祈ることを続けてきたのだろう。祈りが失われたら、人間はどうなるんだろう。世界はどうなるんだろう。無性に祈りたくなるこの心は。祈りでつながったと感じるときの、あの不思議な心のやさしさ、安らぎは。そしてそこから不思議に漲ってくる生きる勇気や力は。

みなさん、よろしければぜひお願いいたします。友だちの皆さん、とりわけ「網の教会サポーター」になってくださった皆さん、どうぞ宜しくお願いいたします!

祈ったよ、祈ってるよ、と知らせてくださるとさらに嬉しいです。今夜から始めます。宜しくお願いいたします。

シェア大歓迎。

今、読み返してもぐっと胸に迫るものがあります。
記録によれば記事へのイイネ!は230件以上。賛同のコメント30件、シェア25件。会堂の牧師夫妻も、家にいた教会員も、この記事に応答してそれぞれの場所で参加したみんなも。クリスチャンもそうでない方も、これまでにないこのつながりと広がりの中で祈りのひとときを過ごしたのでした。
以来、「祈りでつながる水曜日」と題して、毎週水曜日毎に呼びかけを続けています。

以下先週の呼びかけより。

祈りは届き、つながります。祈るとき、すべての祈りが、言葉にならない心の奥底の祈りまで聞かれていると心に留めてみてください。また同じようにして祈っているみんなとつながっているということを思ってみてください。・・・

人間の尊厳がふみにじられ、絶望が満ち、暴力が突出する時代にあって、それでも祈りでつながって、人間らしさを回復したいと思います。どうぞ宜しくお願いいたします。

(記)会計担当 U.N(2022年7月24日の週報より転載)


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