ふと、思い出してツイッターにこんなことを書いた。先週水曜日。
子どもの頃、父の仕事の関係で1年間アメリカ東海岸の町に家族で済んだ。帰国し、元の小学校に戻った時、その場所と集団でしか通用しないキマリに何かとみんなが縛られているのに気づき、それが滑稽に見えた。世界はココだけではない。ココがすべてではない。そのことを身をもって知った。一生の宝物。
10歳のころのこと。1年足らずのアメリカ生活。東海岸北部の、本土最小の州ロードアイランドの郊外の町バリントンでの暮らし。言葉、環境、生活様式、人への接し方、文化、人種、学校の様子、などなどなど、何から何まで違う世界に触れる日々。
そしてその経験を得て帰国したとき、元の小学校生活での何もかもが実は絶対でも、全ても、当たり前でもなかった、ということに気付いたのだった。ひょっとすると、アメリカでの楽しい生活経験よりも、帰国後に味わったこの異化の方が自分にとって大きな経験だったかもしれない。
それからというもの、アメリカ帰りの11歳の少年は、ことあるごとに
「あのね、アメリカではね・・・。」
と言うようになり、当然ながらうっとうしがられたのだった。
そんなことを思い出して書いた翌日、木曜日にはさらにこんなことをツイッターに。
逃げ道って大事。そっちがだめならこっち。行き詰ったらあっち。道はひとつとは限らない。案外いくつもある。ひょいと脇道、横道、抜け道にそれて行こう。大事なのは歩いていること、生きていること。おやすみなさい。明日は明日、またあした。
学校以外に、ぼくには音楽があった。ヴァイオリンを6歳で習い始め、アメリカからの帰国後、11歳のころ、同じ教室の子どもたちを集めて結成された弦楽合奏団のメンバーになった。仲間たちと一緒に音楽をつくり、アンサンブルを楽しむ時間は、ぼくの大切な逃げ場だった。
そしてぼくには教会があった。物心ついた時にはすでに家族で教会に身を置いていた。これもまた、学校とは全く違う世界だった。中学生の時に洗礼を受けた。教会でよく遊んだ。教会の友人たちといつまでも笑い合っていた。教会もぼくの大事な逃げ場だった。
逃げ場があることは、ほんとうに大切だと改めて思う。
きっと信じるって、そういうこと。この自分を受け入れ、ゆるし、見捨てない、絶対の逃げ場所、居場所として神がおられる、と心に留めること。この苦しみ、絶望に満ちた現実とは全く違う、愛と希望の世界が絶対にあると心に刻むこと。そう「こうではない世の中」を意味する言葉として水俣病の現実の中で生み出された「じゃなかしゃば」を信じることだ。
そして、そう信じると、やっぱり「あのね、神様はね。」とか「天国ではね。」なんてつい言ってしまうようになるのだ。そして、この世界の現実を絶対視している者たちからはうっとうしがられ、馬鹿にされたりするのだ。それでも幸せで、自由で、愛と希望に満ちていたりするのだ。
きっと、イエスはそうだったのだ。
信じて、みんなの逃げ場所をつくろう。天国そのものではないけれど、天国をちょっとイメージ、味見することが出来る場所。そんな、みんなの教会をつくりたい。そう思う。
(記)会計担当 U.N(2022年6月5日の週報より転載)
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