2022年3月第2週の一言

南小倉バプテスト教会
金曜日、今年も「3・11」を迎えた。あれから11年。これまでに明らかになった津波などによる死者は15,900人(うち53人が今なお身元不明)、行方不明者2,523人、震災関連死者3,784人。
単なる数字ではない。それはひとりひとりいのち、人生、家族、友人や知人という大切なつながりをもった存在。そのひとりひとりのつながりのある人々の中に、今も深い悲しみが横たわっている。
また復興庁の調べによると、今年2月現在の避難者数は全国913の市区町村にわたり、計38,139人。これだけの人々が今も自分たちの故郷や家に帰れないまま。そのうち、26,692人が福島県からの避難者。いかに多くの人々が福島第一原発事故に伴っていまだに住まいと生活を奪われたままであるかがうかがえる。
改めて、今この時にも続く悲しみや痛みを負っている数えきれないひとりひとりのことを心に留め、祈りたいと思う。
3月11日までの、先週のツイートたち。

  • 3月6日
    どんなに深い悲しみの中にあっても。恐れや不安に包まれていても。痛みやつらさを抱えていても。少しくらい、笑うことがあっていい。おいしいことも、あたたかいことも、あっていい。たとえ小さく一瞬でも。それは息継ぎなのだから。おやすみなさい。明日は明日、またあした。

 

  • 3月7日
    人は祈るとき目をつぶる。そうして絶望を見つめるのをやめる。恐怖や憎悪が流れ込むのをとめる。目に見える一切の有限のものから自由になり、耳を澄ます。いのちの声に。そして、わたしはあなたとどこまでも共に歩む、と語りかける神の声に。今夜も目を閉じておやすみなさい。明日は明日、またあした。

 

  • 3月9日
    聴かれている。ひとりで祈っていても。言葉にしなくても。言葉にできなくても、ならなくても。ただ悲しくても。心が動かなくても。祈る気持ちになれなくても。祈らなくても。祈れなくても。それでも祈ってる。みんな、祈ってる。そして聴かれている。おやすみなさい。明日は明日、またあした。

 

  • 3月10日
    あったかくなった。寒い日、凍える夜もあったけれど、ちゃんと春は来た。全ては巡り、変わる。それが生きてるっていくことかも。季節も、地球も生きてる。わたしも、あなたも、みんなも。それならきっと苦しみや悲しみだって、生きてる。だから変わっていく。おやすみなさい。明日は明日、またあした。

 

  • 3月11日
    あれから11年。神が、亡くなった方々ひとりひとりのいのちに今この時も、そしてこれから先も寄り添い続けてくださいますように。またその家族や友人たちの悲しみや痛みにも。みんなが寄り添われて明日を迎えることができますように。祈ります。おやすみなさい。明日は明日、またあした。

アーメン。

(記)会計担当 U.N(2022年3月13日の週報より転載)


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です