水曜日の聖書の学びと祈りの会では、田川建三訳「訳と註」を手引きに、ルカによる福音書を読み始めました。先々週、その最初の部分を学んだのですが、いきなりこの福音書について意外なことが分かり、一同面白くて思わず唸りました。以下当日のレジュメより。毎週ちょっとずつ読み進めます。そして早くも革新、クリスマス物語!どうぞご参加ください。
- ルカによる福音書はキリスト教(教会)の初期の出来事について記す歴史書の前編として書かれた。後編は使徒行伝で、著者は同じ人物。初期のキリスト教会でパウロの同労者であった「ルカ」であると言われている。
- 「出来事」がイエスの出来事だけを指すのか、使徒行伝も含めたキリスト教会の始まりと広がりの出来事を指すのか不明。
- 御言:言葉とか論理・道理を表す「ロゴス」に定冠詞がついて絶対的な意味合いが加わっている。日本のキリスト教会(界)でよく用いられる「御言」の感じそのもの。ザ・ことば。書き連ねる:整える、の意味。延々書き連ねるという意味ではなく。
- 多くの人が手を付けた:すでに色んな人がやろうとしてきたけれど、とこの書物が書かれる以前にすでに同様にイエスの出来事やキリスト教の始まりについて書かれたものがあったことを意識している。具体的にはマルコ福音書などを指す。しかも「手を付ける」は「悪いことをしようとする」「下手にやろうとする」のニュアンスを持つ言葉(田川)。マルコ福音書を低く評価する姿勢。
初めから詳しく:初めからすべてを詳細に追ってきているので、順序良く。特にマルコ福音書が関心を示さないイエスの出来事の「初め」と「終わり」、つまりイエスの誕生と復活したイエスが現れる物語を補って書くという姿勢が鮮明。
テオピロ閣下:実在人物かどうか不明。「テオフィロス」は神の友の意。ひょっとして読者全体を指すのかも。 - お聞きになっていること:すでに学んだこと。言語では「響く」の受身形。
すでにお聞きになっていることが確実であることを・・・というよりも、すでに聞いていることについて、確かなことを、の意。つまり、この書物の言っていることのほうが確かである、と言いたい。
冒頭部分で、ルカ福音書はすでにかなり挑戦的に書いている!
「いい加減で軽はずみに手を付けただけのイエス物語が色々で回っていますけどね。マルコとかね。あんなのはダメなんです。肝心の誕生と復活顕現の物語はないし。もっと順序を退治に詳しく書かないと。こっちの方が確かですからね。よく読んでくださいよ、いいですか?」ということ。らしいですよ!びっくり!
(記)会計担当 U.N(2022年11月27日の週報より転載)
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