2024.5.12 ええい、ままよ/谷本仰牧師

■聖書:ルカ21章1節~4節

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■説教要約(5/19週報掲載)

イエスは座り込んでいる。疲れて。エルサレム神殿で大勢の人々が賽銭箱に献金を投げ入れている。その喧噪の中でほとほと疲れて、嫌な予感に苛まれて、暗い恐れに重くなる胸を抱えて。

13の賽銭箱が並んでいる。それぞれに使途が書かれている。 祭司がその傍らに立っている。献者は使途と金額を告げて賽銭箱に投げ入れる。金持ちは大声で、これ見よがしに。周りはそのたびにどよめく。イエスはすわっている。疲れて目を地面に落としている。そのイエスの耳にも金持ちの声と人々のどよめきが届く。

イエスは目を上げる。のろのろと、重い首を持ち上げて、見る。その目に金持ちたちの姿が映る。イエスは目を上げる。そして人間の傲慢を見る。金持ちは胸を張り、献金している。自分の豊かさを誇示するために。そしてそれを祭司たちが満足そうに見ている。

イエスは知っている。祭司たちが、その金持ちらからの献金で私服を肥やしていることを。イエスは目を上げる。そしてこの世界の不正を、偽善を、見る。

イエスは目を上げる。その目に映るのは人間の醜さ、情けなさ。その目に飛び込んでくるのは人間のどうしようもなさ。

その時、一人の女性が目に入る。 服は汚れ、擦り切れている。年老いて痩せている。一人で来ている。その傍らに子どもや夫の姿はない。きらびやかな金持ちらの間に、そびえたつ山々の間の深 い谷のように、まるで影のように。

ためらっている。賽銭箱の前になかなか足を進められない。彼女の後ろに並ぶ金持ちたちが次々に彼女を脇に押しのけて追い抜いて いく舌打ちをしながら。

イエスは目を上げて彼女を見る。 その姿に釘づけになっている。

ついに彼女は賽銭箱の前に立つ。握りしめた手が見える。彼女はじっとその手を見ている。イエスは目を上げ、彼女の口が小さく動くのを見る。 「ままよ」。賽銭箱のラッパの形の投入口に手を開いて、投げた。小さな渇いた音が二つ。

イエスは弟子たちに言う。「彼女を見たか。金持ちらは有り余る中から入れたが、あの貧しいやもめは、自分の生活費全部を入れた。彼女は誰よりも多く献げものをしたのだ。彼女は投げやりになって、なるようになれ、とやけになったのではない。『ままよ』は、神さまが必ず良いようにしてくださるはずだ、 その思いのままに、と信じ委ねる言葉だ。

神さまがおられるのだから大丈夫。そう彼女は信じた。どんな悲しいことがあっても、自分が嫌になることがあっても、どんな絶望的な事があっても、わたしが目の前で殺されても、神さまがおられるから大丈夫。

わたしの口癖『アーメン』はそういう意味だ。わたしもまた、『ままよ』と祈っているのだ。ああ、元気が出た。 彼女はまさか見られているとは思わなかっただろう。自分のわずかな献金が誰かを励ましたなんて知らないだろうねえ。 で も、励まされたなあ・・・。」

記:会計担当U.N.


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