「盛大な宴会を催す人のはなし」
4月27日と30日に開講した聖書講座を振り返って。 レジュメに基づいて。
ルカ福音書14章16-24節を輪読し、まずは対話から。
■物語の枠組み
パリサイ派律法学者に招かれた安息日の食事の席での話。 水腫患者の癒しと「上座に座るな」の話(いずれもルカ福音書のみ記載) の流れで。
■イントロダクション・導入(13ー15節)
13ー14節:食事に招くなら貧しい人、障がい者を。彼らは返礼ができないのであなたは幸いになる。
15節:以下が「神の国の食事」 についてのたとえであることが示される。
■たとえのあらすじ
盛大な宴会の主催者が当初招いた人々に言い訳をして出席を断る。主催 者は貧しい人や障がい者らを連れてこさせるが、それでも宴席はいっぱいにならないので、 誰彼かまわず連れてくるように命じる。
■古典的な読み方(寓意的解釈)
盛大な宴会をもよおす人=神。
招かれ、断る人々=ユダヤ人、クリスチャンにならない者。
貧乏人、障がい者たち他=救いに入れられる、本来その資格のない罪人たち、異邦人たち。
■これまでの古典的・キリスト教的読み方に「?」
・主催者は、裕福な人々だけを招待。
地主たちや、畑を耕す牛を一気に10頭買える、あるいはすでに10頭以上の牛を所有して いる人。貧乏人、障がい者などは招待から除外。・貧乏人らを招いたのは仕方なく。
メンツ?勿体ない?いずれにしても自己都合。誰彼なく連れて来させる、投げやりで、個の人間の尊厳を無視した態度。 貧しい人々を二の次三の次にし、尊厳を無視するこの宴会のあり方、主催者が差別的。
・イエスは、こうした貧しい人々、障がい者、周縁化された人々と共にいた。古典的な、寓意的解釈はこのイエスと合わない。
■イエスのたとえばなし再読
深遠な宗教的真理の「喩え」ではなく、現実が写し取られ ている「譬」として読むなら、これは実際にイエス一行が参加しているパリサイ派の食事会 のパロディ。
・イエス一行の中には実際に貧しい者、障がい者たちがいたはず。招かれたけど歓迎されていない、盛り上がらない食事会。よそよそしく、しらけた雰囲気。居心地が悪い。嫌々、仕方なく招かれたその冷たい感じを皮肉るイエス。
・なんか席が余ってるし盛り上がりませんなあ。他のお友だちは?ああ、色々あって、断られた。はー、まあわれわれが一緒ですからねえ。すんませんなあ、清くなくて。 誰でもいいから連れてきたらどうです?この際。われわれみたいなのをもっと。それでもみんな来たがるかどうかわかりませんけど ね、こんな雰囲気じゃ。
・うちらの宴会はいつも盛り上がるんですけどねえ。だって誰彼構わずみんな主賓だから。まあ、たしかにおたくらがいっつも招いていらっしゃるようなおえらい方々は来ませんけども。
・そういうもんでしょ?神の国の宴会は!
・イエスと一緒の貧しい人たち、ニヤニヤ、うふふ。パリサイ人は苦い顔。
- 福音は誰のものか。
次回は「年貢を拒むぶどう園の労働者」のハナシ。
いよいよシリーズの終わりに向かいます。
夜の部:5月25日(土) 19時~20時半
昼の部:5月28日(火)午前10時~11時半。
(記)会計担当U.N.(2024年5月19日週報から転載)
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