■聖書:第Ⅰコリント9章19節~23節
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■説教要約(5/12週報掲載)
先週月曜日(4月29日)、初めてのイベント 「にじのカフェ」を開催しました。34人もの 方々がおいでくださり、思い思いにゆっくり過ご してくださいました。
今月は26日に「おしゃべりカフェ」をやります。コロナ禍の期間を振り返って「4年間、どうでした?」というテーマで自由に語り合います。
来月は古本市でカフェを併設します。7月は第二回の「にじのカフェ」、そして8月は「シネマカフェ」、フェリーニ監督作品「道」を観ます。やりすぎでしょうか。でも楽しみです。
福音のためだったら、どんなことでもする!
パウロはそう言います。福音とは「うれしい知らせ」のこと。イエス・キリストのことです。
パウロは「いつまでも存続するものは信仰と希望と愛」と言います。福音とは、イエスによってもたらされた、あなたはひとりではない、あなたには明日がある、あなたは大切な存在、という知らせです。
そのためだったら何でもやる!そうパウロは言い、そのように歩むようわたしたちに呼びかけているのです。
パウロはそのために、いろんな人になった、と言います。ユダヤ人にはユダヤ人のように、異邦人には異邦人のように、弱い人には弱い人のように。それは、現在の自分自身に拘らない、自分を固守しないで、他者と共に生きるということです。
自分自身は大切な存在です。しかし誰かと共に生きようとするとき、人間は元のままの自分に留まることができません。 共に歩むために、通じる為、響くために、現在の自分へのこだわり から脱して、変わらざるを得ないのです。
人間が人間に進化したのは、社会を構成して弱い個体を守るためだったと、ある人類学者が言っています。 樹上生活に適応できない身体をもって生まれた子どもたちを守りながら共に生きるために、人類の祖先は樹から降りたというのです。他の動物たちは弱肉強食で生きているのに、人間だけがなぜ弱い者を守らねばならないのか、という問いには、従って端的に「それが人間だからだ」と答える事ができるのです。 この人間らしさのために、人間はどんなことでもしてきました。歌や踊りが生み出され、ありとあらゆる文化が発展したのも、結局は人間であるために他なりません。
パウロは、どんなことでもして他者と共に生きようとするのは、共に福音に与るため、と言います。それは福音の側に立ち、その味方となることを意味します。イエス・キリストがわたしたちへの福音となってくださっ たと心に留めて生きることは、この「うれしい知らせ」の側に立ち、その仲間、一味、ア ライとなって生きることです。そこにこそ、共に、希望と愛を分かち合いながら生きるほんとうの人間らしさがあるのです。人間らしく、生きていきましょう。共に生きるため、 希望と愛のために、どんなことでもしましょう。
(記)会計担当U.N.
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